時計Begin web site掲載記事より


そのニッポン人は
なぜ英国時計スミスを愛するのか?

小沢コージの「情熱ですよ 腕時計は」





そのニッポン人は
なぜ英国時計スミスを愛するのか?



機械式腕時計と言えばまずスイスやフランス、あるいはドイツや日本製を思い浮かべると思うが、我が国には英国製のスミスを愛し、専門店を開いている人物がいるのである。その運命的な出会いとは?

PROFILE プロフィール

大熊 康夫/(おおくまやすお)1960年東京生まれ。広告代理店を経てフリーランス・イラストレーター。イラスト制作、オリジナルブランドのイラスト、カレンダー、ポスターなどの製造販売を行う一方、2005年より英国スミス専門店を創業。仕入れ、修復、販売、メンテナンスを一貫して行う。父親は音楽レーベル、ECMを日本に持ってきた音楽人で後に『スイングジャーナル誌』編集長。幼少期を英国で過ごした父親の影響もあり英国好きとなり、今も服はバブアー、ポール・スミス、音楽もビートルズなどを愛する。









「ウチみたいなスミス専門店は英国にもないかもしれません」




小沢: いきなり本題ですが、そもそもなぜスミスなんですか。機械式時計と言えば大抵はスイスかフランスかドイツ製。あるいは日本製が思い浮かびますが。

大熊: きっかけはクルマです。小沢さんもそちらの専門家だからご存知かと思ったんですが、スミスの時計

小沢: あまり知りませんでした。スミスと言えばミニとかオースチンなど古い英国車用メーターのイメージばかりで。

大熊: 僕も同じです。スミスは時計ではなく、古い英国車のメーターから入っているんです。6歳の時にコーギーのミニカーを父親に買ってもらって。父はもともと小さい頃にロンドンに住んでいたのでその影響かもしれません。

小沢: 英国趣味はお父さんの影響も? 大熊: 父は当時レコード会社に勤めてて最後はジャズ雑誌の『スイングジャーナル』の編集長をやってました。ある意味異端児で、海外に行ってはいろいろ買ってきたり、JBLのスピーカーや海外のレコードをずっと残してくれてたんです。

小沢: もともと英国文化漬けだったと。ではその影響でスミスの時計に?

大熊: 違います。もともと僕は機械好きで、ラジオとか電気製品をバラすのが得意だったんです。それに我々の世代って中学入学のお祝いに時計とか万年筆とかを貰ったじゃないですか。僕もセイコーの時計を貰ったんですけど自信があったんですぐバラしちゃったんです。

小沢: それで組み立てられなくなった?

大熊: そう。技術的にも未熟だったんですが、後で腕時計にもオーバーホールを繰り返して長年使う一生モノと、学生に買い与えるような普及品とで大きく2つあることがわかったんですよ。普及品は単純にコストダウンされているだけでなく、ネジ留めされている場所がかしめられていたりして一度バラすと精度が出せなかったり、元に戻せなくなる。それがずっとトラウマになっていて。

小沢: ではいつスミスの時計を。

大熊: 25歳頃、初めて英国のカローラとも言うべき1956年製のモーリスマイナーを買うんです。そしたらミニと同様インパネの中央に大きな丸型メーターがあって、優雅で暖炉の上のマントルピース・クロックみたいだなと。文字盤をよく見ると「SMITHS」と書いてある。調べるとスミスは英国の計器メーカーで最初は時計メーカーだった。スミスは1880年から時計を造っている老舗で、歴史はロレックスより古いんです。

小沢: 戦前、英国は時計王国だったと。

大熊: いいえ。戦前、英国に時計メーカーはほぼなくて、ほとんどスイスに作らせていたんです。しかも1890年くらいまでは中身も文字盤もそのままでスミスの名前を入れただけだった。それ以降30年くらい毎年英国に通っていました。根っからのマイナー志向なので、人が行かないところに行く。そうしたら日本人が全くこない町のアンティークショップにスミスの銀無垢があった。。






小沢: 遂に運命の出会いだ。

大熊: 既にスミスの時計の存在は知っていましたが、日本に入っていたのはボロばかり。スミスにも普及品と高級品がありまして、当時日本に入っていたのは普及品ばかり。しかも若者が使っていたからボロいんです。そういうのを日本では時計店じゃなく、クルマ店がなんとか動くものを売っていました。

小沢: 昔、ミニのショップで見ました。

大熊: しかしその1948年製の銀無垢は高級品で見た目から全然違うわけですよ。スミスは戦前までは中身がロンジンのスイス製でしたが、戦後にジャガー・ルクルトの技術者を連れてきて英国内で高級時計の生産を始める。それがスミス初の英国100 %生産キャリバーです。

小沢: 遂にスミスが本気になったと。

大熊: デザインから中身まですべてスミスが手掛けたもので、僕が生まれて初めてこれいいなと思える時計でした。

小沢: そこからすぐに時計ビジネスを?

大熊: さすがにそうはいかなくて、しばらくは、時計は愛用しているだけで自動車イベントに行っていました。当時僕は複製画とかカレンダーも売ってましたから。そうしたらある時「大熊さんいつもスミスしていますね。僕のスミスはリューズが抜けちゃって全然動かないです」とかいう話を聞くようになって、スミス可哀想だなと思うと同時にこれはチャンスだと。そして、家内に今はイラスト描いているけど、本当は機械仕事が夢だったと告白するんです。

小沢: それはすごい話ですね。

大熊: 「絵筆をピンセットに持ち替えた」とよく言ってますが、当時スミスを直す人はどこにもいないし、部品もなく、オーダーメイドで部品を作ると高くなる。だから結局みんな直さないんですよ。そこで僕は試しに無料で知り合いのスミスを直し始めるんです。準備期間として、自分の中で2年間は修業だからこの間に直したものはお金取らないよと。

小沢: 凄い。1人武者修行だ。

大熊: でも僕は嬉しくてしょうがないんですよ。時計をいじれる、時計を直せる、人に喜んでもらえる。その喜びは、なにものにも代えがたいわけで。

小沢: ってことは当然パーツとかも輸入し始めるわけですよね?

大熊: そう。それに僕は基本的にレストアは嫌いなんですよ。文字盤とか描き直さないし、部品はオリジナルしか使いませんから。唯一の例外は、リューズの節度を制御しているスプリングがあって、ボルトスプリングとかカバープレートって言うんですけど、それが折れる。それは僕が国産部品メーカーに頼んで、作ってもらいました。僕が図面書いて。






▲英国中の閉店した時計店から、デッドストックの新品パーツを収集。さらに、スミスの欠陥パーツを発見し、日本国内の時計部品メーカーと、対策部品の共同開発に成功。


15年以上の経験で培った技術やノウハウ、そして、豊富な純正部品のストックにより、スミスを本来の精度で日常的に使用可能な時計として、整備出来る環境を整えた。








「デザインに英国が凝縮されている。
良心の塊がスミスです」






小沢: 時計学校は行ってないですよね。

大熊: 2年間は近くの時計の修理屋さんから教わって後は独学。分解を徹底的にやったし、英国には当時の機械式時計の本が沢山あるので、クロック&ウォッチ・リペアリングの本を読んだり。

小沢: しかし時計と言えばスイスとその周辺。英国モノは難しくないですか?

大熊: ビジネス的にはそう見えるかもしれない。でも僕はチャンスだと思ったし、誰もやってないことですし。

小沢: 確かに端正な美しさがある。

大熊: ウチみたいな店は英国にもないと思いますし、一時的にこれだったら流行るとかそういうところで勝負してないですよ。スミスは良心の塊だと僕は思ってますから。デザインに英国が凝縮されている。英国好き、ビートルズ好きにはそれを絶対に感じていただけると思います。




 
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▲過度な主張はせず、質実剛健な機能美と優雅さを併せ持つ英国的美学。デザインに英国が凝縮されたスミスの時計。










「道具としての時計本来の魅力を堪能されたい方に」




小沢: 最後に今後スミスは、どのような人達に持って欲しいと望んでいますか?

大熊: 真の時計好きです。英国ならではの質実剛健で間違いのない意匠を纏った、道具としての時計本来の魅力を堪能されたい方には、ぜひ使っていただきたい。